音楽の起こす奇跡4:喪失と心

(クライエントさんに許可をいただいてご紹介させていただいています。無断での転載などは、どうぞご遠慮ください。)

 

「喪失」は、生きていれば誰にでも起こりうる事です。英語でロス(Loss)とも言い、その後に起こる悲しみ(grief)と合わせてグリーフ・ロスと耳にすることも多いかと思います。

 

例えば、大切な方が亡くなったり、大事にしてきたペットが死んでしまったりした時に、人は喪失を体験します。死別の他、離婚、転居、失恋などでも喪失は起こります。また、喪失は外にある存在を失った時だけに起こるものではありません。自分の中の何かしらのアイデンティティが失われた時になどにも起こります。例えば、離職してその職に付いている自分としてのアイデンティティが失われたなどです。病気になり、健康であった自分が失われる事もまた喪失です。結婚してこれまでの役割が変わった、など一見めでたいことに喪失が付随してくる場合もあります。喪失は、誰にでも起こりうることで、時間をかけてその悲しみ(グリーフ)をしっかりとケアすることが大切だと言われています。ここでのケアとは、忘れることではなく、時間をかけてゆっくりと向き合っていくことになります。

 

このクライエントさんに最初にお会いした時、喪失の話は全く出ませんでした。ただ、高齢者と仕事で関わる上で、無力感を感じ、自分に何が出来ているんだろうと、自分の存在意義について悩んで音楽イメージ療法(ボニー式GIM)を受けにいらしたのです。(GIMについては、GIMのページをごらんください)

 

音楽を流し始めると、暗い空、物悲しい太陽の光、それを覆う雲のイメージが現れてきます。悲しみが覆っていきました。体も重くなり、不安が強くなります。それでも「待っていたんじゃ、何も変わらない・・・自分から動かなくては」と、勇気を持って進もうと決めました。行き先もわかりませんでしたが、それでもとにかく進んでいきました。あてどもなく歩いていると、地平線から優しい光が差し始めます。そして、今まで看取りをしてきた方々が現れて、「それでいいよ」と言っているように、見守っていました。最後に、亡くなった父親が大好きで、人生の最後に聞かせた曲が流れます。その音楽の優しさに包まれて音楽によるイメージ体験が終わりました。

 

彼女は、ご両親をすでに亡くしていました。もう少し一緒に時間を過ごしたかったと感じていましたが、ご両親に関するグリーフとは時間をかけて向き合っていました。仕事上で溜め込んだ喪失による痛みは、このセッションである程度昇華できたと感じていました。でも、彼女は別の大きな喪失を抱えていたのです。

次のセッションでは、仲の良くなかったおばあさんとの関係を探っていきました。イメージの中で、家の中にいるおばあさんを窓を通して見つめていたとき、おばあさんに抱きしめてもらいたかったんだ・・・という気持ちに気づきます。「おばあさんに、愛されたかった・・・」。そして、おばあさんと一緒に歌ったことが思いだされます。おばあさんに「いつも好きだった。ありがとう」と伝えると、おばあさんが初めて彼女のことを抱きしめました。「そろそろ帰らなきゃ」と言って、おばあさんは去っていきます。その後、心にぽっかり穴が空いていました。それは、ずっと抱えてきた穴でした。でもおばあさんが教えてくれました。「何かで埋めようと焦ったり、悲しくなったりしても、それを全部抱えながら生きていきなさい。それが今の仕事に大切だから。」

少しずつ、彼女の喪失の一つ一つが姿を変えていきました。

仕事として関わってきた亡くなった方。父親。祖母。一つ一つと向き合っていきました。

そして、初めて、自分のずっと蓋をしてきた喪失が見え始めたのです。彼女は、20年ほど前に病気のために、子宮と卵巣を失っていました。あまりに心が痛かったため、向き合う事も出来ず、悲しみも、痛みも、苦しさも、全てないものにしてきました。それは、自然の反応です。心が壊れないように、自己防衛として蓋をするということをします。そうしないと彼女は日常生活を送ることができなかったのだと思います。虐待を受けた方がその記憶を失くしたり、他の人格の記憶として残ったりするのと同じです。

私は、個人的にはそのまま日常に支障がなければ、その蓋を無理に取る必要はないと考えています。でも、もし蓋をする事で日常生活への影響が大きくなった場合や、無意識に支配される言動が増えた場合には、ワークが必要だと考えます。そして、その蓋を取るタイミングは、個人にとって一番ベストな時にやってくるものだと考えてもいます。どんなセラピーでも、私はその個人が一番あるべき姿に戻ることが目的だと思います。あるべき姿とは、社会やジェンダーや文化などによる押し付けられたものではなく、その人本来の姿という意味です。彼女は、自分が本来あるべき姿、自分としての統合に向けて歩き始めました。

彼女の抑えてきた痛みは、想像を超えるものでした。「泣く」という行為だけで収まるものではありません。「もう無理、私には出来ない・・・」そう何度も繰り返し、それでも諦めずに自分と向き合い続けました。

あるセッションの事です。音楽のイメージの中で色んな所を旅していました。太陽の光が暖かく、海の上を飛び、自由を味わいます。そうしていると、自分がいかに小さい存在なのかということに気づきました。そして、そのまま自分が世界の一部として溶けてしまいます。体の感覚がなくなり、魂としての存在になりました。死んだらこうなるのかなぁと感じながら、音楽に包まれていきます。体は無くなりましたが、魂の感覚は残っていました。その魂が地上の森の中の草の上に降ります。そして土に還っていきました。月日が流れ、そこから芽が出て、植物が育っていきます。そうして命を重ねて行きました。彼女は、「自分の魂が生かされている」と、感じます。自分の魂を次に繋げていきたいと願い、その日の音楽が終わりになりました。

 

イメージを終えた彼女がは自分の体を感じ、「あぁ生きていた・・・」と言いました。体の感覚と、生きている感覚が変わったと話してくれました。喪失によって、生命力(魂のエネルギーとも言えるかもしれません)が失われていたように思います。イメージの中で「死」を体験することによって、「生まれ変わり」新たな生命の力を得たようなセッションでした。

 

そこからも彼女のワークは続いていきました。亡くなった母とも向き合い、自分と自分の人生を見つめ直していきます。

 

そして、また「喪失」と向き合います。

 

ある日のイメージ体験は、彼女の希望で、失った子宮と卵巣の写真をお腹に乗せて始まりました。暗い世界をどこまでも、どこまでも落ちて行きます。そして、その底の水の中に沈んで行きました。息が泡になって浮いて行くのが見えます。水の中は嫌いなはずなのに・・・その死を思わせるような水の中で、逆に「生きている」感覚が芽生えてきます。それはもしかすると子宮の中だったのかもしれません。そして、地上に向かって昇り始めます。なかなか辿りつかないけれど、ただ落ちた分、しっかりと昇って行きました。色が青や緑に変わり、海の中にいるような感覚になります、そして、やっと水の上に辿りついたのです。静かな海の上でした。顔を出して、満天の星空を見上げます。それはとても静かな空間でした。体が軽くなり、色んなものが全部なくなったと感じます。しがらみ、悲しさ、やらなきゃいけない事、全て無くなり、ただ、「生きている」と感じます。そして、心と体がちゃんと繋がったことを感じます。お腹の上の写真に手を置き、そして、こう言ったのです。

 

「やっと、一つになりました。」

 

2年にも及ぶ長い時間をかけて、彼女は大きな喪失と向き合ってきました。そして、やっと、自分として、一つになったのです。心と体と、そして失ったものと、全てが彼女になりました。

 

痛みを抑えるとともに、彼女は自分の一部も否定していました。それが、全て彼女という人間に統合されていったのだと思います。

 

何かを失って、苦しい想いをされている方は、もしかすると痛みがあることで、失ったことを確認しているかもしれません。失ったこと自体をなかったことにしているかもしれません。でも、もし、何かがおかしいと思ったら、喪失のワークを始める時期かもしれません。失った方、失ったものはそのまま大切に、痛みを取り除いていくことが必要なのだと思います。

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